戦後のたばこ不足と裸の大将

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2012/11/22(木)
飽食の時代


現代の日本のことをこう呼ぶことがあります。

これは、何でも食べたいものがすぐに手に入る、

恵まれた環境を言い表わした表現なわけです。



日本の高度経済成長後に生まれた私は、

確かに、日本国内で飢え死にしたという事例は、

虐待などの犯罪のケースを除いては、あまり聞いたことがありません。


やはり現代は、それだけ物に満ち溢れているのでしょう。

そこは、先人たちに感謝すべき点なのでしょうね。


しかし、昭和20年、第二次世界大戦終戦前後は、

日本国内でも、多くの物が不足しました。

もちろん、煙草も例外ではなかったようです。



*現在、日本国内におけるたばこの製造は、

国内のたばこ農家が生産する、全ての葉の買い取ることを条件に、

JT(日本たばこ産業)が独占することが、認められています。


JTはもちろん民間企業ですが、

やはり、たばこ産業は、ある意味、特殊な産業形態とも言えるでしょうか。



もともと古来より、たばこの製造販売というのは、

安定して、比較的、高い利益を得られることから、

国の財政を潤す財源として、各国で運用されてきた歴史があります。



我が国においては、

江戸の八代将軍、徳川吉宗が、その経済作物としての煙草に目を付け、

税収UPの目的で、たばこ農業を奨励したのが始まりで、

以降、産業として根付き、明治に入って日清戦争の頃には、

国による専売体勢が、すでに確立されていたようです。


この後、日清、日露、第一次、第二次の世界大戦を通して、

たばこで得た税収は、そのまま軍事費増強に使われてきました。



しかし、昭和20年、第二次世界大戦終戦前後には、

国内の物資の不足同様、煙草も深刻な品薄状態に陥ったのだそうです。


この頃はまだ、大蔵省専売局が、たばこの製造販売及び、

外国からの輸入に関しての一切を管理していました。

つまり、国が煙草産業を牛耳っていたわけです。




品薄が一番深刻化したのは、敗戦前夜の昭和19年11月。

この頃になると、国内の物流を統制するため、

国は苦肉の策として、たばこにも配給制を導入します。


対象となった、たばこは当時、国内で流通していた6種類。

両切たばこ金鵄ゴールデンバット)』、両切たばこ朝日(無包装)』

口付たばこ朝日、刻みたばこみのり、手巻き用 刻みたばこのぞみ


わずか6種類ですが、

これは意識的に、国が銘柄の数を減らしたようで、

そこには、管理体制の強化と品薄対応の苦心が、なんとなく見て取れます。


ちなみに、どのくらい品薄だったかというと、

成人男性1人に対して、


19年11月の6本からスタート、
     ↓
20年5月からは5本。
     ↓
同8月には、1人3本にまで、減らされ、


女性に関しては、敗戦ギリギリまで配給すらなかったそうです。



こんな状況が影響してか、

日本のニ次大戦での敗戦が決まり、戦後となると、

たばこは、人々の間に様々なムーブメントを生み出します。


まずは過去に、日本の専売制導入で市場から締め出しを食っていた、

アメリカのたばこ王デュークが創設した、たばこ会社BAT社が、

日本における、たばこ専売を請け負うことを打診してきますが、

GHQがこの要求を却下。


昭和24年には、大蔵省専売局から、JTの前身でもある日本専売公社

事業を引き継ぎ、国内でのたばこ事業の復興を計ります。




しかし、このことは逆に、早急なたばこ不足解消には至らないことになり、

駐留米軍から横流しされたラッキーストライクキャメル』、


どこから、調達してきたのか、

製品化されていない、たばこの葉やシケモクの残り葉などをかき集めて、

手巻きされた、私製たばこなどが闇市で売買されたそうです。



このような状況の描写は、様々な書籍などに記録されていますが、

実はこの頃、たばこ不足の行列に並んでいた、

私たちのよく知るある有名人がいます。



その人物とは日本のゴッホとも言われた天才画家、山下清。

ご存じ『裸の大将』です。



山下清は、サヴァン症候群という知的障害であった

可能性が高いと言われており、


戦前の昭和12年に開かれた早稲田大学で開かれた、

精神障害者の絵画展において、その素朴な絵が脚光を浴びた後、

様々な絵画展や作品集などにおいて、話題を集めていたそうです。


しかし、悲しいかな、戦争突入と共に、

その存在は世間から、忘れかけられていたのですが、

戦後、アメリカのライフという雑誌が、

若き日の清の絵を評価し、また彼を探し求めたのだそうです。


しかし、彼はその時、ドラマ『裸の大将と同じように、

各地を放浪、行方知れずになっていたそうで、

ライフの誌面を知った朝日新聞社などが、通信網を駆使して、

九州にいたを発見したのだそうです。


正に、放浪の天才画家です。


そして、この山下清の日記に、

この頃のたばこについてのエピソードが綴られています。


それによりますと、

は、戦後間もなくのある期間、家のものに頼まれて、

たばこ屋の開店に合わせて出来る行列に並び、たばこを購入するという、

お使いを、1日に何件もこなしていた時期があったそうです。


しかし、もちろん清は元来、非喫煙者

頼んだ家の者も、この煙草を吸うのではなく、

転売した差額を、生活費にあてていたそうです。



更に、母やたっちゃんなどの家族が、たばこを自主製作して売りさばく、

というエピソードも綴られており、

やはり、戦後の煙草不足とそんな環境で逞しく生きる人々の知恵を、

計り知ることができるでしょうか?



しかし、もっと感慨深いのは、食べるのにも困っていた時期に、

清の家族の作った、たばこを求める人が後を絶たないということは、

やはり、たばこの魔力おそるべしですね。


こんなことからも、飽食に慣れた私たちが、煙草断つのには、

それなりの覚悟が必要な気がしますが、

みんさんは、いかがお感じになるでしょうか?



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tag : 歴史もの たばこの雑学

この記事へのコメント:
何不自由ないこの時代に生まれたことを感謝しなければなりませんね。
しかし、たばこの魔力というものは恐ろしいものですね。
現代社会がさずけてくれる自由というものは、取捨選択する必要があるのだと改めて気づくことができました。
2012/11/22(木) 09:50 | URL | 永遠 #-[ 編集]
やっぴえろさん、こんばんは!

飽食の時代と言われてますが、私にはそんな気がしません。わずかな富裕層に限ったことでは?と。
ケチをつけたいのではなく、感想として。
かくいう自分も食料を調達できず苦しい目にあったことあり。。。

話がそれました。
戦前・戦後の食糧難&タバコ難。想像するしかないですが、それはそれは厳しいものだったのでしょうね。その時代の人々に感謝です。
煙草の供給本数の少なさに驚きです。そこまで少なかったら自分はヤメて転売の人が増えても納得。
2012/11/22(木) 17:10 | URL | 祐希 #Ots9DzJY[ 編集]
こんばんわ~

今は本当に恵まれていますよね
当時は食糧だけでなく煙草を手に入れることも
困難な時代だったのですね
食べることよりも煙草優先に本当におそるべしですよね
そういえば「朝日」ってありましたね
「みのり」もなんとなく覚えているような気がします
懐かしいです~
2012/11/22(木) 20:46 | URL | あめしすと       #-[ 編集]
戦後の煙草不足
厳しいものだったのですね
それでも 吸いたいって 思うって
たばこの依存性は 凄いのですね
にしても・・・
こんな所にも 男女の差別が あったなんて 驚きました
2012/11/22(木) 21:00 | URL | kotone #-[ 編集]
そして、かんばんは、いえ、こんばんは、やっぴーさん♪

そして、こんバンッ!!はぁ~

対象なぁ~、いえ、大将なぁ~

ひーちゃんも、負けず劣らず、お握りスキー♪

しまったッ!!

プロフィールの好きなモノの所に、お握りって書くの忘れたYO~

重い、思い出させてくれてありがとう♪

まったね~ん♪
2012/11/22(木) 22:00 | URL | ひーちゃんYO~♪ #-[ 編集]
こんばんは、永遠さん!
はじめまして^^

何か食べ物を我慢して、煙草。。。
という経験は実は僕にもあります。

10代の頃の僕は、
喫煙するという選択を、
個人としてしたのですが、

気付いてみると、
その習慣を捨てるのが難しくなっていました。

結果として、
今は捨てることができましたが、
やはり、ニコチンの魔力恐るべしです。

確かに選択が自由な分、
責任は自分にありますよね。

また、遊びに来てくださいね^^
2012/11/23(金) 00:14 | URL | やっぴえろ #-[ 編集]
こんばんは、祐希ちゃん!

そうですね、
色々な理由で、食糧調達に苦労することはあっても
、現代は、自治体にや国による援助など、
最終手段的なものは、用意されています。

やはり、戦後の焼け野原に比べれば、
今はマシだと思いますよ^^

もちろん、現代においての貧富の差は、
問題になりつつあるとは思いますが。

煙草を金に変える。
背に腹は代えられないということでしょうか^^
2012/11/23(金) 00:23 | URL | やっぴえろ #-[ 編集]
こんばんは、あめしすとさん!

生前の祖父母の話でも、
戦後は、食料を含む全ての物資が不足していたようです。

それだけ、戦争というものは、
全てを破壊してしまうものなのでしょうね。

しかし、戦争直後は、
戦中よりも、何か明るさがあったとも言われています。
しばしば、この後の煙草の流行も、
いい意味に捉えられ時がありますね。

『朝日』や『みのり』を覚えているって、
すごいですね^^
2012/11/23(金) 00:37 | URL | やっぴえろ #-[ 編集]
こんばんは、kotoneさん!

戦中や特に終戦間際の日本は、
世界的にも孤立していましたからね。
物資不足は、深刻でしたでしょうね。

当時の煙草は、やはり男性の象徴だったようで、
そんなことから、女性の喫煙を社会進出の証しと
捉える向きもあったようです。

しかし、今は、そうでもないみたいです^^

2012/11/23(金) 00:44 | URL | やっぴえろ #-[ 編集]
こんばんは、あ~ひーちゃんひーちゃん!

おにぎりから、
切り込んで来るかぁ~
ひーちゃんらしいですね^^

裸の大将は実際、放浪していたらいけど、
テレビの表現よりは、
もっと苦労の旅だったと思われているそうです。

でも、戦争から解放され、
何か希望が芽生えた時代でもあったのだろうね^^
2012/11/23(金) 00:49 | URL | やっぴえろ #-[ 編集]
戦後と言えばラッキーストライク思い出しますね。
食にも事欠く時代にタバコは逃避 娯楽だったのかもしれませんし、生きる糧だったんですよね…
沢山の楽しみがある現在にタバコに依存してしまうのが情けなくなります。

戦後民間にタバコが普及しその世代から肺ガンが爆発的に増えたとか。
そして今また禁煙へ向かう社会の流れ。
色々感慨深い気がします
あと諸事情でブログ閉鎖することになりました↓
こちらには伺いますのでこれからもよろしくお願い致しますm(_ _)m

子供は宝です(*^^*)
師匠もその内パパですよきっと!
2012/11/23(金) 04:06 | URL | えんきんりょうよう #-[ 編集]
やっぴえろさん、こんばんは!

そうですね。
戦後の焼け野原よりは、まだ幸せです。

戦後、娯楽なし、食料なし、そういう環境にいたらタバコが唯一の楽しみになりそうです。
そこから日本のタバコ文化は発展していったのでしょうか?
唯一だったかもしれない楽しみのタバコを売らねばならぬ生活。まさしく‘背に腹は代えられぬ’ですか。

2012/11/23(金) 21:43 | URL | 祐希 #Ots9DzJY[ 編集]
こんばんは、えんきんりょうようさん!

戦後の煙草の存在意義って、
そういったものだったかも、しれませんね。

煙草の依存は、
薬物依存に近いので、抜け出しにくいのは仕方ないですよ。
あまり落ち込まないようにしてください^^

でも、止めれる時は、意外にあっさりだったりしますので、
まずは、気持ちを明るく持つことかもしれません^^

ブログの件、了解しました。
もちろん、今後も顔出して下さい。
弟子よ、いつでも歓迎するぞ!^^
2012/11/24(土) 00:03 | URL | やっぴえろ #-[ 編集]
こんばんは、祐希ちゃん!

そうですね、時代背景と共に、
煙草の存在、または意味は変化しているのかもしれませんね。

ちなみに、来週あたりUPしますが、
この戦後煙草には続編があります。

祐希ちゃんの言う通り、
時代がマッチしたのか、
戦争直後は煙草が大流行した時期だそうです。

どうぞお楽しみに!^^
2012/11/24(土) 00:07 | URL | やっぴえろ #-[ 編集]
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