伊藤博文とビスマルク的国有

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2014/09/26(金)
みんさんは、何か外国語は喋れますか?


ちなみに私は昔から全くダメで、英語なんかは大の苦手でした。


しかしそれとは裏腹に、最近は、国際化が一段と勢いを増したようで、

ネットやSNSの発達とともに、

海外が、更に更に身近になったような気がします。


そんなことから、語学って必須ではないですが、

出来ると便利だなって思うことが増えました。

みなさんも、そう感じたことがあるのではないでしょうか?




おそらく、明治維新鎖国から解放された当時の日本も、

今と同じか、それ以上に急速な国際化が進んでいた時期

実は明治政府において、初代総理大臣となった伊藤博文も、

彼自身が持つ国際力が決め手となり、その座を射止めたようです。


そして、この伊藤博文、あまり語られませんが、

国による煙草専売に道筋を立てた人物でもあります。


さて、初代首相が葉煙草を専売とした、

その狙いや経緯は、一体どんなものだったのでしょうか?



*長州藩、松下村塾で吉田松陰に学び、

尊王攘夷運動に参加。


明治維新後は、大日本帝国憲法の起草に奔走し、

初代・第5代・第7代・第10代と4度に渡り、内閣総理大臣を務める。


そして、任期中に首相として日清戦争を指導。


晩年は初代韓国統監を務め、その任期終了後に、

ハルビン駅で朝鮮民族主義活動家、安重根(異説もある)の凶弾に倒れ、

暗殺される


簡単にまとめると、これが伊藤博文という人物の略歴です。



旧千円札の肖像画で、わりと顔は知られていますが、

実際の所、わが国初の総理大臣ということ以外、

何をした人物かあまり知られていませんよね。



それもそのはず、伊藤は、桂小五郎、高杉晋作など、

維新の立役者を数多く輩出した長州藩士でありながら、

第二次長州征伐や戊辰戦争にも参加しておらず、

何となく維新の志士としては、地味な印象を受けるためかもしれません。



しかし、実のところ、彼は元々、貧しい農家の生まれ。

身分が低かったせいか、松下村塾でも他の塾生とは別に、

建物の外で、吉田松陰の教えを学んでいたエピソードもあり、


貧しい農民から一国の宰相に


という、豊臣秀吉と同じような、

日本では稀に見る大出世を遂げた人物なわけです。


ご存知でしたでしょうか?



しかし、その出世の秘密は、秀吉のような知謀や野心ではなく、

むしろ温厚で誠実な人柄にあったそうで、

私利私欲のために動かなかったせいか、生涯、私財はあまりなく、

実直で周りから信頼の厚い人物であったと言われます。



そして、余談にはなりますが、他方では、酒、煙草、女を好み、

彼を重く用いた明治天皇からも、少し芸者遊びを控えるようにと、

苦言を呈される程、遊びは好きだったそうです。



そんな伊藤博文

実は20代の頃、井上馨らと共にイギリス留学の経験があるのですが、

それが功を奏してか、大日本帝国憲法の起草のため、

明治天皇の指示で、使節を率いてドイツに赴きます。



すると、これが転機となり、

初代内閣総理大臣を決める宮中会議では、井上馨や山縣有朋などの

『これからの総理は赤電報(外国電報)が読めなくてはだめだ』

という強い推薦から、当時実質的に政治トップであった

対抗馬の太政大臣、三条実美を退け、総理の座に就任したそうです。




そして、初代内閣では、大日本帝国憲法発布に向けて、下準備に奔走し、

次代黒田清隆内閣で実現させるに至ります。


これについて、ご存知の方も多いとは思いますが、

大日本帝国憲法は、

伊藤が視察に赴いたプロイセン(ドイツ)の憲法を元にしており、

かの国の影響を大きく受けたと言われます



ちなみにこの頃、ドイツの宰相といえば、あの鉄血宰相ビスマルク

伊藤博文も、どうやら彼の影響を大きく受けたようで、

帰国後和性ビスマルクと自称するようになったと言われています。




そして、伊藤が第三期内閣の時実地した葉煙草専売の政策も、

実はビスマルクの政治手法に習ったもの。


つまりは日本の長い間の煙草専売

現在の実質的な、JTによる国内たばこ製造の独占体制少し大きい文字も、

ビスマルクの思想が色濃く反映していると言えるわけです。



このビスマルクの思想というのは、

現在は資本論でお馴染みのエンゲルスにより、

ビスマルク的国有化と名付けられ、

あまり資本主義経済としては、好ましくない手法と言われています。



当時のビスマルクは、ドイツ国民の貧しい層を救うために、

大きな予算を必要としたため、

それまで民間が行っていた、鉄道、ウォッカやブランデーなどの火酒、

そして煙草などの事業を国有化しようとしました。



煙草や酒などは生活にはなくてもいい、いわば贅沢品だから、

増税したところで、国民の反発は起きにくい


というのがビスマルクの持論

何ともこの考え方も、今でもたまに耳にしたりしますよね。



そして、これを元に、日本に目を向けて見ると、

伊藤が三度目の総理に就任した時期は、

ちょうど日清戦争が終わり、日露戦争に向けて、

ロシアとの関係が緊迫していた時期。


シベリア鉄道が完成し、ロシアの軍隊に機動力がつく前に、

戦争による決着を急ぎたかった明治政府は、

大蔵大臣、渡辺国武の立案により、酒税の増税

登録税、営業税(現在は廃止)、葉煙草専売を創設しました。


簡単に言うと新たな税金の科目を設けて、税収増を狙ったわけです。



ちなみに、エンゲルスの言う『ビスマルク的国有化というのは、

国有化が全てダメだと言うわけではないけれども、

それは、事業が膨大すぎて、民間ではコントーロール出来ない場合であり、


単なる政治的な意味(単なる税収増を狙った)産業の国有化は、

社会主義的で、経済の進歩どころか中世への後退を示す
と語っています。



つまり、当時の伊藤内閣による、葉煙草専売制はこれに当たるのですが、

戦費捻出のために強行。


その後、桂太郎内閣により、日露戦争開戦に先だって、

専売は、収納、製造販売、葉煙草ならびに

製品の輸入移入にまで強化されるに至ります。





しかし時代が流れると、1949年にたばこ事業は公社化

1985年にはJT(日本たばこ産業)が発足し、

同時に法律上、タバコの専売制度は廃止され、

ある程度、後退した時間を取り戻しつつあります。



が、これはあくまでも建て前であって、実はご存知の通り、

未だ国内における煙草の製造販売は、法律上JTが独占

その筆頭株主は、財務大臣

国や地方の税収においても、大きな割合を占めているのが現状だったりします。


JTも完全民営化を常に模索しているとは言いますが、

現在は枠組みを変えただけで、国内のたばこ産業においては、

やっていることが、ほとんど一緒だったりしますよね。



さてでも、伊藤博文という人物。

師でも吉田松陰によれば、

『才劣り、学幼し。しかし性質は素直で華美になびかず、僕すこぶる之を愛す』

そして俊輔、周旋(政治)の才ありと評されています。



素直に松陰先生や周囲の評価を信じるなら、

彼の私利私欲ない人柄からしても、ひょっとしたら、

当時の葉煙草専売を導入は、必要だったのかもしれません。



しかし今現在、伊藤やビスマルクのような産業の国有化的な考えは、

時代にそぐわなくなっているはずです。


エンゲルスの理論からすると、

せめて、予算編成時の困った時のたばこ税増税という考え方は改めないと、

ビスマルク的国有化に似たシステムからの脱却は、

かなり難しのだろうなと感じます。



まぁ、そもそも脱却することが、国民の利益となるかは分かりませんが、


現在のたばこ産業の構造の原点は、

伊藤博文内閣による、この葉煙草専売の導入にある。

と言ってもいいのではないでしょうか。


伊藤博文も憲法起草の際、ドイツの歴史を学んだといいます。

今回のお話、煙草問題を考える時の何かの参考になれば幸いです。


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tag : 歴史もの 社会運動・規制などの動き たばこの雑学

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