福沢諭吉もススメない

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2016/01/29(金)
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず

この文言は有名なので、みなさんも良くご存知ですよね?


一万円札の肖像画でお馴染み、

福沢諭吉の著書学問のすすめの冒頭部分です。


あまりに有名なせいか、私たちはこれが、

これが諭吉本人の言葉と思いがちですが、

実はこの『造らず』の後に

『と言えり。。。』と続く
そうで、


一説にはこの文言。

アメリカ建国の父の一人であり、

第三代大統領を務めたトーマス・ジェファーソンの言葉を、

引用したとも言われているそうです。



諭吉は、明治維新前後の人物で、維新成立後、

特に、西洋の学問の普及、経済の発展に大きく関与しました。


若い時にアメリカ、ヨーロッパを歴訪し身に付けた、

合理的で貧富・家柄・職業にこだわらない思想を、

日本に根付かせたのですが、


一方で教え子たちに海賊の親分とあだ名されるように、

死の間際までキセル煙草を吸い、また大変な酒好きであったと言います。

何だかイメージからすると意外ですよね?


さて、そんな福沢諭吉がもし今生きていたら、

学問だけでなく煙草を万人にススメるのでしょうか?

あまり知られない彼の嗜好に迫ってみましょう。




*国立印刷局によれば、


1、日本国民が世界に誇れる人物で、教科書に載っているなど、

 一般によく知られていること。



2、偽造防止の目的から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を

 入手できる人物であること。


日本に流通する日本銀行券(お札)

使われる肖像画の選考基準はこのように決められているそうです。



現在の一万円札に描かれているのは、福沢諭吉

そんなことから、今、一番日本中でモテる男(?)

老若男女、彼の顔を知らないという人も少ないでしょう。


生まれは坂本龍馬の一つ上、

高杉晋作の五つ上、吉田松陰が四つ年長。

バリバリの明治維新まっただ中の武士なのですが、


彼の代表的な功績と言えば学問のススメなどの書物の執筆。

また、慶応義塾の創設


維新の志士たちと比べても、あまり華々しい感じではないかもしれませんが、

実は彼なしに、維新後の日本の急速な経済の発展はなかったのではないか?

と思うくらいの重要な人物だったりします。


日本の最高額紙幣の肖像画に起用されるだけのことはあるようです。




福沢諭吉は、1835年、現在の大阪あたりにあった、

豊前国中津藩(大分)の蔵屋敷で

下級藩士・福沢百助の次男として産まれます。


イメージとしては、子供の頃から勤勉で優秀で

という感じかもしれませんが、残念ながらそんなことはありません。



諭吉は1歳で、父の死に伴い大分に戻り、そこで幼少期を過ごすのですが、

実はこの頃はどちらかというと本が大嫌い


しかも、なんとこの頃から酒を飲む習慣があり、

一般的な武家の子供のように寺小屋に通い学び、

忠義などの儒学的な思想や神仏への信仰するなどという気配も、

全くありませんでした。



儒学者であった父の反骨心もあったのか、

また生まれついての先進性とも言うべきなのか、

『目に見えない物など全く信じない超現実主義』。


神社のお札を踏んで天罰が下るか試してみたり。

自分の父代りである養父が祀る稲荷の石を道端の石とすり替えてみたり。

更には、隣人の家の稲荷の御神木を気付かれぬように捨てて、

それを大人が拝むのを影から見て爆笑していたり。


どちらかと言うとワンパクを絵にかいたような悪戯小僧だったと

言えるようです。



しかし、そんな諭吉が才能開花の兆しを見せるのが14、5歳くらいの頃

それまで、さほど真剣に勉学などしなかった彼は、

何故か突然、周囲が学んでいるのに自分だけ遊び呆けていていいのか?

と世間体を気にして、自ら白石照山の塾に足を運ぶようになります。



すると、儒学に関する書物を読み漁り、興味深い所は暗記。

一般的な子は8歳くらいから勉学をはじめているのですが、

すぐに、彼らを凌駕するほどの知識を身につけます。


努力も当たり前ですが学問の才能があったと言えるのでしょう。




そして、学ぶ面白さを身につけた諭吉長崎に移り、

19歳頃から、鎖国中日本が唯一交流のあった国オランダの学問

蘭学を学び、

その傍らで、薩摩藩の松崎鼎甫アルファベットも習得したそうです。



当時、国内では先進的だった蘭学が肌に合ったのか、

諭吉はその後も、大阪で緒方洪庵の塾『適塾』で学び続け、

最年少22歳で塾頭となる程に頭角を表します。


そして、実は福沢諭吉が、キセルによる喫煙を覚えたのはこの頃。


その経緯は福翁自伝の中の禁酒からたばこという話で、

自ら書き記しています。



要約すると、諭吉は元来、大の煙草嫌いであったのですが、

前述した通り、幼少の頃からを嗜んでおり、

この頃も、酒が元で幼少期さながらの悪戯を繰り広げていました。



・塾生と示し合わせて、嘘の大喧嘩で騒ぎ、町中の商店を店じまいさせる。

・茶屋から猪口や皿を盗んできて、その数を仲間と競い合う。

・神社から誰かの書いた絵馬を盗んできて、ニヤニヤと酒のつまみに眺める。



など、自らの酒癖の悪さに『これではいかん。。。』と感じた諭吉は、

ある日突然、禁酒をはじめます。


すると、この姿を見て面白がった塾生たちは、諭吉を今度は今まで批判して来た

煙草飲みに仕立ててしまおうと、

『禁酒ではストレスが溜るだろう、その間だけ煙草でも吸ったらどうだ?』

と、煙草を分け与えたり、自ら仕入れてきてまで、諭吉に勧めました。



すると、諭吉は自ら

『今まで嫌悪してきた煙草を吸っていると、愚弄されるだろうけど、

 酒から逃れるために煙草を吸い続けて、

 一か月後には立派な煙草飲みなってしまった』


と語るように、煙草にハマってしまい、


更にその後には、

『ちょっと一杯やってみるとたまらない』

と、禁酒の方まで失敗してしましい、

ここから酒と煙草の悪癖は、

60歳過ぎの死の間近まで続けることとなったそうです。




そして、諭吉は江戸に渡った後、アメリカ、ヨーロッパを歴訪

西洋旅案内(西洋事情というベストセラーを執筆。

海外の政治や議会、学校、新聞、病院、ガス灯、生命保険など、

その後の国の根本的な仕組みとなるものを、

上下問わず一般庶民に広く知らしめます。


同年には明治維新(1867年)を経験。


明治政府の中枢からは、才能を買われ出仕を求められますが、

元々、トップダウン式の古い封建体制を嫌ったためか、

『学者を褒めるなら、豆腐屋を褒めろ!』

と、この申し出を一蹴し、翌年の1868年には、

中津藩江戸藩邸で慶應義塾を開き、官職に着かず教育に専念します。



そして、教え子から、

岩崎弥太郎の三菱財閥の中心人物となる、荘田平五郎や豊川良平

三井財閥の功労者、中上川彦次郎は諭吉の甥。

明治安田生命の創始者、阿部泰蔵

三越デパートの創始者、日比翁助

九州電力 「電力の鬼」の異名を持つ、松永安左エ門

鐘紡の支配人、武藤山治

丸善株式会社の創始者、早矢仕有的


など、綺羅星のごとく、

日本経済を牽引する有能な人物を輩出



そして、諭吉自身も、

教育活動の傍ら時事新報という新聞社を運営し、自らも執筆。

古い体質を嫌い男女平等』や『脱亜論』などの思想を、

世間に訴えかけたそうです。



もちろん、まだ明治維新直後。

これだけの意識改革を推進すれば、当然、命を狙われることもあったそうですが、

実は、文人のイメージの強い福沢諭吉は、

身長175cmと当時としては体格が良く、

生涯人を斬らなかったそうですが、居合い切りの達人でもあったそうです。



その風貌で、常にキセルを咥えていたため、

彼は教え子たちから海賊の親分と揶揄されましたが、


先程の福翁自伝でも、

(晩年になり)酒は自然と禁じたけども、たばこはやみそうもせず、

衛生のためみずからなせる損害と申して、一言の弁解もありません


と結んでおり、どうやら止められずとも、

煙草を肯定することはなかったようです。




そして、彼は66歳で二度目の脳出血により死去

これは長年の酒と煙草が原因でしょう。



こんなことからも、福沢諭吉はきっと、

学問はススメても、きっと喫煙はススメなかったのではないかと思います。

さて、みなさんはどう思います?



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tag : 歴史もの たばこの雑学

この記事へのコメント:
福沢諭吉さんってこんな方だったんですね。
お酒と煙草の組み合わせって、
凄く身体に悪いイメージですが、
普段吸わない人がお酒の席だけ吸ってて、
お酒が入ると吸いたくなるって言ってました。
お酒と煙草って合うのかな?
2016/01/29(金) 20:34 | URL | mifa #-[ 編集]
今日は、覚悟のススメッ!!
いやぁ~、ひーちゃんの大好きな~
覚悟のススメッ!!
ひーちゃん文庫でも、お馴染みですNA~♪
やっぱ、何が良いって~
覚悟くんでしょ~♪
零式防衛術DE!!強化外骨格零DE!!覚悟完了DE!!
因果DE!!積極DE!!大義だYO!!
「零式防衛術零式は己のための剣にあらず
牙を持たぬ人の剣なり
ゆえに剣を抜くのは決して己ではなく
牙を持たぬ人の祈りなり」
いやぁ~、かっこいいNA~♪
え?熱く語ってるけど~
学問のすすめですっTEッ!!
マジで~
なんだ~

学問と言えば、ひーちゃん字が汚いんだよNE~
どれくらい汚いかと言えば~
え、この前書いTA?
マジで~、本当DA~!!
サッチィと牡蠣小屋に行って来たYO~♪
え、記事に書いてる?
マジで~、本当DA~!!
あ、日曜もお出かけする事になったYO~♪
え、これは知らなかった?
今度、サッチィがみ
2016/01/29(金) 23:06 | URL | 葉隠覚悟です♪ #-[ 編集]
こんばんは、mifaさん!

実は僕も福沢諭吉に関してはあまり知らなかったので、
リサーチしてみて驚きました。
決して生真面目というタイプではなかったようですね^^

煙草とお酒。
過去記事で注目したのですが、
多分、利尿の作用から相性が良いのではないかと思います。
健康へはもちろんダブルのダメージです
2016/01/31(日) 05:16 | URL | やっぴえろ #-[ 編集]
こんばんは、葉隠覚悟さん!
。。。て誰やねん!^^

知らなかったので、
グーグル先生に聞いてみたけど、
凄いタッチの漫画だね~^^

でも、アニメでは声を山寺宏一がやってるのね。
僕知らないだけでわりとメジャーなんだろうか?

覚悟くんのセリフ?
格好いいのかな?
気合いが入ってるのは伝わってくるのだが^^

剣を抜くのは決して己ではなく
牙を持たぬ人の祈りなり。。

あ格好いいかも!^^

ここで再び字の話か~
かなり笑ってしまったよ。
牡蠣小屋な~ほんと羨ましい。
今度はサッチィ何したんだろう?
ヒント「み」だけは難しすぎる^^
2016/01/31(日) 05:38 | URL | やっぴえろ #-[ 編集]
諭吉さんの あの言葉って
引用だったのですか!
勉強になりました
と 同時に
今だったら 検索されて
そんなことしてたら すぐに ばれるだろーなと
時代っていうものも 感じました
2016/02/04(木) 09:01 | URL | kotone #-[ 編集]
やっぴえろさん、こんばんは。

福沢諭吉のイメージとお酒・煙草はあまり合致しません(;^ω^)
なんとなくですが高潔な学者というイメージがありまして。。。

>学問はススメても、きっと喫煙はススメなかったのではないかと思います。
辞めたくてもやめられないループにはまってしまっただけで、ススメてはいなかったんですね。
2016/02/04(木) 17:39 | URL | 祐希 #Ots9DzJY[ 編集]
こんばんは、kotoneさん!

そうですね『学問のすすめ』の冒頭のセリフ。
トーマス・ジェファーソンの言葉という明記はないですけど、
『と言えり。。。』と続くのだから、
誰かの言葉の引用なのは確かなのでしょう。

確かに過去の悪行(?)を考えると現代だと、
スキャンダルとして叩かれそうですよね。
そう考えると、
現代社会ではどこかで才能が潰されているのかも?^^
2016/02/05(金) 06:17 | URL | やっぴえろ #-[ 編集]
こんばんは、祐希ちゃん!

実は僕もそうでした。
お札の顔のせいなのかな?
福沢諭吉って何となく、先進的ではあるけど
生真面目なイメージを持っていたのですが、
けっこう破天荒な人ですよね^^

『福翁自伝』を読み解く限り、
酒・煙草にあまりいい印象はもっていないようですよね。
僕もススメなかったのではないかと思います^^
2016/02/05(金) 06:21 | URL | やっぴえろ #-[ 編集]
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