日本三大銘葉『秦野葉』の盛衰

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2017/04/28(金)
海外の方から見ると日本人はお祭り好きなんて言われます。

私の住む町でもそうですが、言われてみれば春夏秋冬、津々浦々。

いくつものお祭りが、人々を楽しませているように思います。



その中のお祭りの一つに、

秦野たばこ祭というのがあるのはご存知ですか?

暑さの和らいだ9月の終わり頃、年に一度、

神奈川県の南西部に位置する秦野市で盛大に開催されるお祭りです。



祭りの起源は、

秦野の地がかつて日本有数のタバコの産地であったことからで、

同時にこの地で育てられたタバコ葉は、

日本三大銘葉の一つにも数えられました。


今回はその秦野におけるタバコ産業の盛衰のお話となります。




*三大○○

日本人てこういう括りで、物事をまとめるのが好きだったりしますよね。


例えば

日本三景。。。松島、天橋立、宮島

日本三大河川。。。信濃川、利根川、石狩川

日本三名泉。。。有馬温泉、草津温泉、下呂温泉

日本三大祭。。。祇園祭、天神祭、神田祭

日本三大珍味。。。うに、カラスミ、このわた




やはり、トップスリーに数えられることはそれなりのステータスであり、

同時に知名度も備えていることが多いです。



もちろん、現在でこそ下火になりましたが、

かつてタバコ農業は日本でも全国的に盛んだっため、

中でも特に名品のタバコ三種を日本三大銘葉として讃え、

喫煙者たちは持て囃していたそうです。



一般的に伝えられているのは、


鹿児島国分の国分葉

茨城県久慈の水府葉

神奈川県秦野の秦野葉


その作物としての特徴から、

国分(鹿児島県)たばこは気候で、

 水府(茨城県)たばこは土壌で、

 秦野たばこは技術でもつ


などと評されていたりもしました。



そこで当ブログは、国分葉水府葉についてはお話したので、

今回は最後の一種秦野葉について、ひも解いてみたいと思います。


技術でもつと謳われた秦野葉

その意味、ちょっと気になりませんか?





さて秦野煙草』。

いつ頃から日の本に名を馳せるようになったかと言えば、

おおよそ、全国に浸透した煙草文化が盛り上がりを見せた

江戸後期の頃と言われています。


相模国(現在の神奈川県)大住郡秦野地方23か村。

これに同国足柄上郡松田惣領村など9か村で生産された松田煙草を合わせて、

その総称を秦野煙草と呼びます。


呼び名に関しては、かつてこの地を治めた、

平将門を討伐した藤原秀郷の子孫・佐伯経範

波多野氏を名乗っていたことから、

波多野煙草と表記することもあったそうです。



秦野煙草農業が伝わった時期に関しては、

諸説あり定かではありませんが、


井上卓三氏の執筆した秦野たばこ史 (1978年)によれば、

1600年前後に、徳川家の家臣である大久保忠隣が小田原城主として、

この地を治めていた時、薩摩藩主である島津氏から煙草の種子を譲り受けた

という記録が残っているそうです。



現在、秦野にある秦野たばこ資料館によれば、

1666年の年貢皆済証文

年貢としてはじめてタバコが上納された記録

が残っており、ここからもそれ以前に、

タバコの種子が伝わっていたことは間違いないのではないかと思われます。



おそらく江戸幕府により度重なる煙草に関する規制法度(法律)

網をくぐりながら着実に根付いてきた煙草産業ですが、

これが技術でもつと言われるようになるまでは、

一つの大事件と功労者たちの存在を忘れてはなりません。




まずその大事件とは、、、何だか分かりますか?

実は、1707年の宝永噴火

すなわち富士山の大噴火でした。


降り注ぐ富士の火山灰は、この地の農業にダメージを与えたのですが、

この時に現れたのが、草山貞真という人物です。


貞真は、代々御嶽神社祠官を務める家系の出身。

宝永噴火の噴火の後に長崎で医術を学んでいた際に、

タバコの苗が火山灰の地での育成に適していると確信したそうで、

のちに、この地の名産品かりんとうの材料ともなる、

菜種油の知識と共に持ち帰ったのではないかと推測されています。



草山氏の一族は代々、秦野の煙草産業と深く関わっていた家系で、

祖先にあたる草山貞宝は、長崎から煙草の種子を持ち帰った人物


末裔にあたる草山貞胤は、水車によるたばこ刻み器を発明。

苗床や乾燥方法を改良大きく産業の発展に貢献したとされています。




そして、更に彼らを凌ぐ程の最大功労者として挙げられる人物と言えば、

草山貞胤の弟子でもあった、関野作次郎という人物です。


作次郎秦野という地に留まらず、日本中の煙草農業を指導し発展させた、

明治~昭和にかけて活躍した有能な農業技術者でした。


関野作次郎は、1859年に現在の神奈川県秦野市名古木で生まれ、

草山貞胤に学んだ後に、36歳で栃木県の要請で県の煙草栽培実業教師に就任。

翌年、国による煙草の専売制が施行され、

秦野が一等専売所と煙草試験地に指定されると、

地元に舞い戻り、秦野専売局秦野試験場技師に就任します。


そしてこの地で、有名な煙草種子播器を発明。

秦野式改良揚床の全国普及。たばこ種子精選器の考案など、

煙草産業の発展には枚挙にいとまのない大活躍を見せたそうです。


そんなことから、この頃の秦野技術の秦野として、

煙草産地として最盛期を迎え、

日本における中心地となったのだそうです。



そしてその後、産業従事者の慰労のために秦野たばこ祭なども

開かれてるようになりますが、1985には日本専売公社が民営化

時を同じくして、徐々に衰退してきた産業も最後の農家が廃業し、

終焉を迎えたそうです。


国の政策により盛衰が左右された感じですかね。


ついでに秦野たばこ祭について、、、と思いましたが、

それは次回お話したいと思います。


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